2005年7月1日放送「朝まで生テレビ」より
◇南京虐殺の証言◇
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画面表示『寺嶋芳彦(85)【海軍兵曹長】海軍水雷学校高等科卒。第2艦隊でフィリピン島攻略参加。フィリピンで収容所生活。戦後、警察官を経て事業主となる。現在も精力的に遺骨収集を行っている。慰霊事業協力団体連合会会長。』

田原「寺嶋さん。えっと、ああ、寺嶋さん、はい。えー寺嶋さんは、余計なことだけれども、私の田舎が同じなんですね。滋賀県の彦根でらして、そしてこのー、今85歳でいらしゃる。でこのーこれはなんですか、やっぱり徴兵ですか」
寺嶋「いや私はね、17歳で昭和12年にね、えー、軍隊に入りまして、ですぐあのー、シナ事変。上海陸戦隊にまわされましてね、それで上海陸戦隊に一週間ほどおって、こんどは南京はんかを、あのー揚子江ですね。その攻撃に参加しましてね」
田原「ああ、じゃああの、南京攻撃に参加されてるわけ」
寺嶋「ああ、もうそれからずーっと、洞庭湖(どうていこ)、南昌(なんしょう)も行きましてね、でー、そのときに、あの中国軍が上流から機雷を流すわけですね、でその処分をやっておりました」

寺嶋「これはね、やはりあのー、戦争に参加したものでないと分からんけれども、中国と戦争した場合には、最初はあのみな制服を着ているわけですね、でー、負けかけるとですね、銃もほっといて逃げるわけですよ」
田原「ああ中国兵がね」
寺嶋「そして、普通の百姓の服をするわけです」
田原「便衣服って言うんですよ、便衣服ね」
寺嶋「そうして撃って来るわけですね。あのー我々が行きますとね。だからどこから撃ってくるか分からんですね」
田原「つまり、中国の国民市民、一般の市民と同じ格好をするわけ」
寺嶋「ええ、はい、化けるわけですね。で、そういうふうになってくるものだから、我々としてみたらやらざるをえん。自分の身がやっぱりかわいいですからね。撃たざるをえない。ということを、まだいたいはじまりました。そういうことでね。それからね、皆様ご存知と思いますけれども、中国軍と戦争しますとね、一番前の塹壕。こうゆう深い塹壕ですね。これには民兵いっぱいおるわけですよ」

田原「みんぺい?」
寺嶋「民兵」
田原「なんですか『みんぺい』っていうのは」
寺嶋「普通の民間人」
田原「民間人? はいはい」
寺嶋「それに小銃持たして、ほいで足に全部鎖が付いてあるんです」
田原「へえ!」
寺嶋「逃げないように、ねえ」
田原「一番の前線が、民間人を、足に鎖をつけて! ほおー」
寺嶋「そして鎖に足つけてあるんですね。その後に督戦隊というのがおるんですよ」
田原「なに?」
寺嶋「督戦隊」
田原「はい」
寺嶋「その前の兵隊が逃げないように、逃げたら撃つ、後ろから」
田原「あ、自分達の味方を撃つためにいるんですか、はあー」
寺嶋「ですからね、なかなか落ちなかったんですですよ、私達が攻撃しますとね。落ちんはずですよ、足に鎖が付けて逃げられない。最後まで戦うわけですね」
田原「ああ、死んでも逃げられない訳ですか」
寺嶋「ああそうですね。それを私達は見ましてね、いやー酷い国だなと思いましたけどね」

寺嶋「このー、民間人でも何でもね、スパイと思ったら全部縄で括っちゃうの、子供も大人も」
遥「中国の民間人を?」
寺嶋「はいはい。ほいで、揚子江へぽーんと放り込むんですよ」
田原「え?」
寺嶋「揚子江へ放り込むわけ。生きてるまま」
田原「はあー、ほんで誰が放り込むんですか」
寺嶋「ほら、日本人ですよ、日本の兵隊ですよ」
田原「日本が、はあー」

寺嶋「そうしますとね、僕はあの、船に乗ってたすらね、舫い(もやい)ってあの、ロープで陸上から括ってきますね、ほと朝起きますとね死骸がずーと引っ掛ってるわけですよ。それ朝除けるのがね、非常に辛くてね、そういうことはもうしょっちゅうありました」
田原「なんで、その女性や子供達を揚子江へ放り込まなきゃいけないんですか」
寺嶋「それか戦争なんですね。ということは日本軍も、たしかにね、あのーそういうことは悪いですよ、やったらいけないことですよ、本当はね。いけないけれども、自分の身が危ないときもありますよね、だから、これ非常に悪いことやけれども、まあその仏教戒で悪いけれども、やっぱりそういうー、なんて言いますかね、日本の軍隊というものは、上下がきつくてですね、命令一下ですね、やらざるをえん場合があるんですよ」

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